マコトとあーるけーの回顧録のマコトは20歳で旅立った弟の名前です。 あーるけーは歩けと自分に言い聞かせています。 ブログは私自身の過去の回顧録です。 それと共に日々のささいな幸せも綴ります*°
引っ越しが無事に終わって新居での暮らしが始まりました。またタワマン暮らしですが高層階から少し降りたタワマン暮らしで窓から見える景色がガラッと様変わりをしました…
ケチ・ケチ道場の弟子になって、眼を輝かせ、昨日の買い物より、今日は安かったとなれば、初段の段位を貰えると、内心やったと・・・なのに、段位もらえるまで、道のりは遠い・・・関東の観音信仰者には、西国33カ所に訪れる、道程は厳しく、代表者に行ってもらうという方法を取る・・関西から来る人も同じでしょうね‼坂東道、埼玉県からまた東京にもどり、隅田川へ・・・浅草・浅草寺、坂東札所13番。歴史は飛鳥時代、漁師の投網に掛った像を捨てたのに、場所を変えてもかかるので、持ち帰り、調べてもらったら、聖観世音菩薩で、藁で作った堂を造り、祀ったという。観音様が人の姿で姿を見せると、一夜にして千株の松が生え、3日後には、金の鱗の龍が、松林に降りてきたという・・・ながら、史実を記事にする能力袋は、すでに破裂・・今回は、江戸時代、見世物...坂東道浅草、浅草寺❶東京都台東区。
#GW中に最大のご褒美~『ペイ・フォワード』今年は沢山の*Happy Birthday ♬『糸』
いつも拙いブログをお読み頂き*。ありがとうございます*。🩰あーるけーです🩰『GW中に最大のご褒美』に*。私の誕生日で沢山のお祝いを頂きました💐誕生日だけど仕…
5月になり、GWも後半。春の陽気に誘われて。久しぶりに公共の展覧会巡りへ。ただいま、大阪・中之島・国立国際美術館【古代メキシコ展】・中之島美術館【モネ展】異な…
すももの実が、日光山から飛んできた、慈恩寺。坂東道・さいたま市。
百日紅が咲いてた8月の参拝でした。山門から鐘楼を目安に、咲き終えた藤棚を見上げて人形の町、岩槻市の坂東札所12番・慈恩寺。なんつたって、敷地が広い、以前は13万5千坪もあって、山林、田畑など、関わるところ、一帯、慈恩寺村と呼ばれていたらしい。戦時中、南京駐留の日本軍が土木作業中、三蔵法師の遺骨を発見し、届け出た。南京政府からは、三蔵法師の遺骨を日本に贈り、ここから5分ばかりの、十三重の塔に収められているという。👇1827年に焼失し、845年に再建して、昭和12年に改修した観音堂。右、慈航普渡は、中国では、仏や菩薩は苦海を渡り、それゆえに慈悲の心で、衆生を救ってくださるという・・👇これ以上撮影禁止で・・・昔、824年ごろ、慈覚大師が関東巡錫したとき、日光山から『すもも』を投げたら、この地に落ち、千手観音を彫...すももの実が、日光山から飛んできた、慈恩寺。坂東道・さいたま市。
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