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  • 1位

    令和が始まって5年 日本が終わりの始まりを迎えた

    マスコミはこぞって5月1日を祝うけれど、果たして祝う価値があるか?この5年の「災い」が全て天皇皇后に責任があるとは言えない。科学的に言えば馬鹿な話です。しかしながら、あの二人にはそう思わせる雰囲気と行動があると言う事。平成が始まった時も、天皇皇后が調子に乗って外遊ばかりしたり、舞踏会で踊ったりとブルジョア臭をまき散らし、結果的に美智子皇后に不満を抱いていた宮内庁からの突き上げが怒った。でも令和は、不満さえ閉じ込める程の「独裁政権」が皇室内で起こっている。誰の?雅子皇后。いえ、影の天皇・雅子である。令和元年5月1日。この日から。皇室の伝統をさらに破壊、左翼の言いなり、愛子天皇を企む、世界から歓迎されない天皇皇后になってしまいました。令和元年の出来事京アニ事件東日本で台風被害首里城消失そんな中、恐ろしい台風の...令和が始まって5年日本が終わりの始まりを迎えた

  • 2位

    悠仁親王と蜂子皇子

    もうX始め色々なブログで拡散されているので、今更な話題ですが、改めて「ふぶきの部屋」風にお知らせしますね。2023年6月18日悠仁親王は山形県の出羽三山をお参りしたこの神社の開祖は「蜂子皇子」という人で崇峻天皇の皇子殿下はご自分で歴史を調べ予定をたて、6月18日(その日は祭礼の日)に恐ろしく困難な山を登り、神社にお参りした宮司の話「悠仁親王が参拝されると急に雲が現れ、風が吹き雨が降りだした。このような事は70年生きていて初めてのこと。恐らく風神雷神八百万の神々が悠仁親王を歓迎したものと思われる。宮内庁の日程にはなく、お忍び中のお忍び行動。崇峻天皇って誰?天皇になる前の名前は泊瀬部皇子。この頃、敏達天皇→用明天皇→崇峻天皇→推古天皇となります。敏達天皇と推古天皇は夫婦で、二人には竹田皇子がいました。が、蘇我...悠仁親王と蜂子皇子

  • 3位

    天皇一家 御料牧場へ

    平日なのに日赤はお休みなのかな?天皇一家は御料牧場へ。どうしても皇后が真ん中。それにしても徳仁さん。髪が白くなって。そろそろ孫が欲しいんじゃありませんか?早く愛子内親王に降嫁して頂いて、お孫さんを抱かないとね。結局、このお三方は服装が違えども、毎年同じ時に同じ場所へ行って同じ笑顔で笑う。常に慣れた行動しか出来ない人達なんですよね。3人が散策している姿も毎年同じ。で、「サイクリングも」と愛子内親王が言ってましたけど、毎年サイクリングかあ。秋篠宮家には絶対に使わせない。御用邸も。皇嗣家なのだから本来は、どの御用邸も使っていい筈なのに。本当に意地悪だなあと思う今日このごろ。そうは言っても、行動に一つも「進化」がない。ただ毎年1歳歳をとっていくだけなんですよね~~~研究も学習もない。野菜の収穫、たけのこ取り、牛に...天皇一家御料牧場へ

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  • 天皇一家 御料牧場へ

    平日なのに日赤はお休みなのかな?天皇一家は御料牧場へ。どうしても皇后が真ん中。それにしても徳仁さん。髪が白くなって。そろそろ孫が欲しいんじゃありませんか?早く愛子内親王に降嫁して頂いて、お孫さんを抱かないとね。結局、このお三方は服装が違えども、毎年同じ時に同じ場所へ行って同じ笑顔で笑う。常に慣れた行動しか出来ない人達なんですよね。3人が散策している姿も毎年同じ。で、「サイクリングも」と愛子内親王が言ってましたけど、毎年サイクリングかあ。秋篠宮家には絶対に使わせない。御用邸も。皇嗣家なのだから本来は、どの御用邸も使っていい筈なのに。本当に意地悪だなあと思う今日このごろ。そうは言っても、行動に一つも「進化」がない。ただ毎年1歳歳をとっていくだけなんですよね~~~研究も学習もない。野菜の収穫、たけのこ取り、牛に...天皇一家御料牧場へ

  • 令和が始まって5年 日本が終わりの始まりを迎えた

    マスコミはこぞって5月1日を祝うけれど、果たして祝う価値があるか?この5年の「災い」が全て天皇皇后に責任があるとは言えない。科学的に言えば馬鹿な話です。しかしながら、あの二人にはそう思わせる雰囲気と行動があると言う事。平成が始まった時も、天皇皇后が調子に乗って外遊ばかりしたり、舞踏会で踊ったりとブルジョア臭をまき散らし、結果的に美智子皇后に不満を抱いていた宮内庁からの突き上げが怒った。でも令和は、不満さえ閉じ込める程の「独裁政権」が皇室内で起こっている。誰の?雅子皇后。いえ、影の天皇・雅子である。令和元年5月1日。この日から。皇室の伝統をさらに破壊、左翼の言いなり、愛子天皇を企む、世界から歓迎されない天皇皇后になってしまいました。令和元年の出来事京アニ事件東日本で台風被害首里城消失そんな中、恐ろしい台風の...令和が始まって5年日本が終わりの始まりを迎えた

  • 悠仁親王と蜂子皇子

    もうX始め色々なブログで拡散されているので、今更な話題ですが、改めて「ふぶきの部屋」風にお知らせしますね。2023年6月18日悠仁親王は山形県の出羽三山をお参りしたこの神社の開祖は「蜂子皇子」という人で崇峻天皇の皇子殿下はご自分で歴史を調べ予定をたて、6月18日(その日は祭礼の日)に恐ろしく困難な山を登り、神社にお参りした宮司の話「悠仁親王が参拝されると急に雲が現れ、風が吹き雨が降りだした。このような事は70年生きていて初めてのこと。恐らく風神雷神八百万の神々が悠仁親王を歓迎したものと思われる。宮内庁の日程にはなく、お忍び中のお忍び行動。崇峻天皇って誰?天皇になる前の名前は泊瀬部皇子。この頃、敏達天皇→用明天皇→崇峻天皇→推古天皇となります。敏達天皇と推古天皇は夫婦で、二人には竹田皇子がいました。が、蘇我...悠仁親王と蜂子皇子

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